月日は流れて行きますが、状況はあまり変わりありません。
仮設住宅の建設も進んでいるようですが、入居できるのは5月末か6月頃になるのかな…
今日職場に、震災前にお世話になっていた業者の方が挨拶に見えられました。
津波で自宅も職場も流されたため、仕事はやめられるとのこと。
そして一言「娘もとられたしね…」
この方の娘さんは、大槌町役場の職員でした。
実は津波がくる30分前まで、私と同じ釜石の市民文化会館にいたんです。
この日はここでケアマネの研修会があり、私も他の職員と参加していました。
受け付けで彼女と挨拶し、研修開始後15分くらいで大地震発生。
揺れがおさまってから外に出て、車に乗って職場のある大槌町へ戻りました。
市内の信号はすべて消えてましたが、まだ渋滞はおきておらず、とにかく施設へ戻ろうと車を走らせたのです。
私の勤めている施設は町外れの高台にあり、町内には入らずバイパスを通っていきます。
国道から堤防添いに行くのですが、堤防に入る前の国道の高台で渋滞になり、反対車線からきたトラックの方に「波が来てるぞ!」と言われ、初めて津波が来ていることがわかりました。
それから車をUターンさせ高台へ避難。そして町をのみ込む大津波を目の当たりにするのです…
後からわかったのですが、私が帰ってきたバイパスなども津波にのまれていました。もちろん市民文化会館も。
そして亡くなった彼女も、バイパスより低い大槌町役場へ戻り、被害にあったのです。
若干26歳、やり残したこともたくさんあったでしょう…
大槌町は大津波の後、ガソリンスタンドが爆発し、大火事になりました。
流された上に焼かれ、身元を確認するのも困難な状態だったそうですが、持っていたカバンでなんとか判別できたそうです。
大槌町役場職員の方は大勢亡くなっています。未だに見つからない方も多数です。
私はたまたま運良く生かされた、というのが実感です。
震災後、テレビを見る機会もなく、また見たとしてもニュースくらいでしたが、日曜日の夜に「JIN」を見ました。
以前は何とも思わず見ていたものが、とても心に響きます。
「生きていれば笑える日がくる」
その通りですね。
今日笑ってご飯を食べられているのも生きているおかげです。
写真は義父が撮ったレオちゃんが赤ちゃんの頃。
写真もすべて流されたたけど、携帯で撮っていたのがありました。
一応シューデットクリームなので、赤ちゃんの頃は耳に黒い差し毛がありました。
レオちゃん、かわいいね。